NOと言える脳

先日、雑誌を読んでいたらフランス人著述家のドミニク・
ローホーさんが興味深いことを書いていました。

「煩わしい義理だけの付き合いを断る。
 エネルギーが奪われるだけの友達からの誘いを断る。
 『NO』を言えるおとなこそ、自由で魅力的」

いかにもフランス人らしい考え方です。
日本人は礼節を重んじる民族だから(だったから?)なかなか
NOは言いにくい。

私の若い頃は「女は父母に従い、夫に従い、老いては子に従い」
なんて言葉がまだあったのですもの。
女って従うばかりなんだなぁ、と納得いかなかった記憶があります。

それでも若い頃は仕事でも、人間関係でも「NO」は言えない性格でした。
仕事の為、夫の為、子供達の為「誰かの為人生」を何十年突っ走って
きたのだろう?
でもそれが私達世代の日本の女の典型であったようにも思います。

今や時代や意識が変わり、女性の立場も随分と変わりました。
そして何より歳を重ねた今、以前のように何にでも「YES」と言って
いたら身体がついてゆけない。

そろそろ「自分を大事に」を一番に考えても良いのではないか。
「NO」を言ってもよいのではないでしょうか・・・。

「NO」はとてもポジティブな言葉。
「NO」はとてもパワフルな言葉。
「NO」が言えれば、大事なときに人にエネルギーをあげられる。

確かにそうですね、自分が疲弊していては、いざという時に力が出せない。
エネルギーを蓄える為には、1人の時間を大事にすることも必要なのかも
しれません。

「NO」と言い慣れていない私の脳。どうも「NO」というのはネガティブに
つながるような気がしてしまう私の脳をこれからはちょっと修正して
新しい感覚で「NO」と言ってみようかな・・・。


満開の梅


小さい人

3歳の○子ちゃんは、バレエを習っています。
ママ(娘)の話を聞くと絶対に整列しない、人と同じことをしない、
そうで本当に困ってしまう。と言っていました。
「皆んな、蝶々さんになりましょ〜」という先生の声に他のお子さん達は
両手をヒラヒラさせて蝶々になりきっている中、我が孫はカマキリに
なっていたとか。
しかし、これには理由があります。
昨年の夏に○子ちゃんはカマキリを捕まえて観察しました。
その時のことが、あまりに印象に残っていたので思わずカマキリに
なってしまったのです。(と、私は思います)

NHKの「できるかな?」という番組を覚えていますか?
着ぐるみのゴン太君と長身のノッポさんが段ボールやら何やら使って
工作するのです。
あれが好きで娘達とよく見ていました。
そのノッポさんは子供のことを「小さい人」と呼びます。
「小さい人は経験の浅い物事をよく分かっていない存在ではありません。
大人が思うよりもずっとずっと賢い。」

○子ちゃんを見ているとノッポさんの言葉を思い出します。
パパとママが喧嘩すると間に入って仲直りさせようとするし、H君を
うちに預ける時は「すみません、うちの子を宜しくお願いします」と
言います(笑)
彼女なりに、こういう時は何て言うのか一生懸命考えるのですねぇ。

もちろん、そこは3歳ですから我が侭も言うし、H君が自分のおもちゃを
取れば大声で怒鳴ります。その癖、H君のおもちゃは取ります(笑)
でも、小さい人も頑張って生きているのだなぁとつくづく思います。

私は孫の教育のことに口は出しません。
それは娘家族の問題ですから、お婆がしゃしゃり出ることではありません。
向こうが求めてきた時だけ、アドバイスします。
ですが、バレエ教室でのカマキリの話には拍手喝采でした。
「でかした、孫よ。あなたはあなたのままでいいのよ」

これから人と違うことをすると白い目で見られるかもしれない。
それでも自分らしく生きることの大事さを貫いていってほしい。
お婆はいつも○子ちゃんの味方だからね。

親は子供の為と言いながら、実は自分の支配欲や世間への見栄で
ものを言ったり考えていたりする。
これは自分の反省です。
仕事を持ち、2人の幼い子を育てながら毎日が戦いでした。
時間に追われ「早くしなさい」を連発していたと思います。
そんな親に育てられた割には、娘達はのびのびと自分の個性を伸ばして
大人になったと思います。
あっぱれです。

あれから30数年たって再び小さい人達と関わる機会が与えられました。
せいぜい今度は小さい人達とのコミュニケーションを楽しみましょう。
その点「小さい人」と「老人」には共通点がいくつもあるので(笑)
若い頃よりはもっと自然に接することが出来るのかもしれませんねぇ。

子供の椅子



年の瀬に

例年のことですが、長女家族、次女家族、全員集合!
年末から3歳を頭に1歳5ヶ月、11ヶ月の3人の孫に楽しく
振り回されています。

小さい二人
1歳5ヶ月のSちゃんと11ヶ月のH君

早いものですね、1月1日生まれのH君ももうすぐ1歳です。


さて、今年もいろいろありましたが、良いことも大変だったことも
今となっては思い出にすぎません。
ただただこうして、家族皆んなが健康に年を越せることに感謝です。

今年、拙ブログを読んでくださった皆様に心からお礼を申しあげます。
どうぞ良いお年をお迎えください。
来る年が素晴らしい年となりますように!


ミミクリーペット

孫達のクリスマスプレゼントは絵本と決めているのですが、
今年は可愛いのを見つけました。
ものまねハムスター「ミミクリーペット」
こちらの言った事をそのまま、おうむ返しにものまねするのです。
その声がまた 可愛いの。
この姿、この声を聞いて笑顔にならない人はいない筈。

もしかしたら、夫婦喧嘩勃発なんていう時に、この子を間に
置くといいかも。
そんな使い方もあり、かな・・・。(笑)


ミミクリーペット
Mimicry Pet (株)タカラトミーアーツ


ミニマリスト

今まで読んだ片付け本は、女性の書いたものばかりでした。
主婦(あるいは収納の達人達)が普通の生活をしながら、いかに効率良く部屋をキレイに
保てるか(それはモノを持たないということに繋がるのですが)そういう目線で
書かれたものが多かったのですが、ついにこの本に出会いました。
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」佐々木典士・著、発行・ワニブックス

ミニマリストの本 

30代の独身の男性が書いているので、私にはとても新鮮でした。
ミニマリスト(必要最小限のものしか持たない人達)という言葉も
初めて知りました。

もちろん私には家族がいるし、あんな風にはなれません。
やっぱり女だから、お洒落もしたいしねぇ(スティーブ・ジョブスみたいな私服の
制服化は出来ない)
でも、参考になる所はたくさんありました。

この本で一番、心に響いたのは「亡くなった人のモノを手放す」という文言でした。
私は母が亡くなった時に譲り受けた古い飾り棚をずーっとリビングに置いていたのです。
その中には、生前母が使っていたティーカップやお皿なんかを飾って。
部屋がナチュラルモダンなのに、その棚だけがクラシカルで違和感がありました。

でもなぜか母の形見であるその棚は、身近に置いておかなくてはいけないと
思いこんでいたのです。
母を思い出す為に・・・?
考えてみたら、それを見て思い出すのは母が晩年1人で食事をする姿でした。
その時、思ったのです。
ああ、この棚はもうここになくていいものだな・・・と。
私は母の残像を何年も飾ってきたのです。
彼女はもうとっくに、そんな所から解放されて あちらの世界で自由になったと
いうのに。

母を想うなら、モノではなく心の中にある幸せそうな笑顔を思い出せば良いのだと
気付きました。それは永遠に心の中に刻まれている光景ですから。

そして母の使っていたモノ達に感謝してリビングから出てもらいました。
いずれ処分するにせよ、取りあえずは長平庵に。

私はこの本から今、自分に必要なモノとそうでないモノを見極める必要性を
学びました。時が流れてゆけば、昔大事だったモノも必要なくなるかもしれない。
日々の忙しさに忘れてしまいがちな、そんな事を思い出す良い切っ掛けに
なりました。
細かいモノの整理とは別に、ずーっと当たり前のようにそこにあるモノ、習慣、
など今、見直しているところです。
本当にそれが自分にとって必要かどうか?


母の観音様 

これも母の形見の小さな観音様。
これは「必要」と判断しました。なぜなら、これを見ていると安らぐから。


読書コーナー 

いろいろ片付けたお陰で出来た本棚の横の読書コーナー。
この椅子、以前はリビングにあったのですが、今はここに納まりました。
買い足す必要はないけど、あるモノで工夫するのも楽しみの一つですね。