秩序と無秩序

植物画を描いていた頃は、山や野原で見つけた
「あ、これっ」と思った植物をスケッチして描いた
ものだった。
美しい花や風景は自然と描きたいという衝動が
おこるものだ。

では、抽象画は何からインスピレーションを得るのか?
それは生活のすべてからだ。
素敵な音楽、その時の感情、ある人の言葉、降りしきる雨、
春の風、気になる形、壁に映った影、etc、etc.

どんなことも絵に成りうる。
そういう意味では、植物画を描いていた頃より世界は
グッと広がったと言える。
しかし難しくもなった。
目に見えない音をどう表現するのか、見えない風を
どう表すのか?

そしてその音から感じたもの、吹く風を私なりに絵の具で
紙に下ろすと、それを見た人はまた違う何かを感じる。
それが私の感じたものと、全く違うものだったりすると
それが私にとっては、新鮮で面白かったりする。

そんな終わりのないスパイラルを回りながら、私はどんどん
深みに嵌ってゆくのだ。

何がアンテナにかかるか分からないというワクワク感と
それを紙に描いた時の成功か失敗か、どちらに転ぶか
分からない緊張感と、完成した時の達成感と・・・
そんなものを常に抱えながら、筆を手にするのだ。


秩序と無秩序
この絵は「秩序と無秩序」
私は日々、同じ事を繰り返し平穏に暮らしていたのに
ある人が突然、そこに「無秩序」を投げ込んだ為、
昨日までの秩序だった生活が一変してしまった、という
その混乱した気持ちを絵にしてみた。

しかし、絵にしてみると秩序と無秩序が画面上で
微妙なバランスを保っていることに気付いた。
そしてそれが美しいと思えた。
多分、規則正しいだけでも、めちゃくちゃなだけでも
つまらない絵になっていただろう。

とすると、私の生活に投げ込まれた「無秩序」は
私に必要な要素であったのかもしれない。
私の人生をより面白くする為の、より深いものにする為の
ギフトであったのかもしれない。
作品が出来上がって冷静に見た時、そんな思いが頭に
浮かんだ。


「秩序と無秩序」
和紙に墨、アクリル、ミクストメディア
縦95,5センチ 横66,5センチ

*絵の著作権はすべて朋百香にございます。
 無断使用、転載はかたく禁じます。








コメント

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内側からあふれ出てくる創作意欲に脱帽です。
描きながらも悦びと怖れ、無心と思惑の揺れがないまぜになるように、秩序も片方だけでは不完全なのですね・・・うん、そうなんだなあ〜。
こちらは、高校生のときに描いた油彩がむしろ抽象で、大人になったら具象になっていました。暮れに久しぶりにお会いしたシドさんの絵から、具象のようでありながら抽象的、抽象でありながら心に具象のように映る絵というものを見た気がしました。
朋百香さんの世界、ますます深いところへ・・・。こちらも興味深く拝見いたします。

tomokoさま
ありがとうございます。
シドとの出会いはまさに運命を感じます。
彼と出会わなかったら、抽象の世界には行かなかった
かもしれません。
意図してそうしている訳ではないのですが、どうも最近は
画面上で相反するものを描いているみたい。
きっとそれが今の私には面白いのでしょうね。
これからどこへ行くのか私も楽しみです。

こんにちは! 先般、がんサバイバーの会で観た「happy」という映画を思い出しました。日常の中に小さな変化が起きると、人は幸せを感じるそうです。秩序の中に投げ込まれた無秩序も、そんな「happyの素」だったのかも知れませんね。

朋百香さんのボタニカルアート、大好きです。
そして、抽象もまた・・・・
私には朋百香さんの描かれる抽象画は単純な言い方ですが「和と洋の融合」のように感じます。
作家さんの感性を窺い知ることができるのは、とても興味深いことです。

絵美さま
そうですね、その時は大変!と、思っても
時間がたつと冷静さも出てきてその事を分析し始めます。
そうすると、思った程大変なことではなかったり・・・
あるいは人生とはそんなもんだ、と思えたり。
そしてやっぱり自分は幸せなんだ、と気付いたり。
おっしゃる通り、あれは「happyの素」だったのかも
しれません。考え方1つで、物事がいろいろ変わるって
なんか不思議な感じがします。

りらさま
ありがとうございます。
私も植物と対話するあの時間(つまりスケッチのこと
ですが)は、大好きなんですが、なにしろミクロの世界で
あの細かい作業は、もうこの歳では辛いです。

その点、抽象画はもうやりたい放題(笑)
大きな和紙も私の感情やらなんやらをドーンと受け止めて
くれて安心感があります。

「和と洋の融合」そう感じて頂けたなら嬉しいです。
ずっとそれを目指してきましたから。
それは変わらない私のテーマです。