白骨の身

先日、法事があり小田原のお寺さんへ行ってきた。
お経の後、住職が「蓮如さんからの手紙」
(別名「白骨の手紙」と言われている)
を、読んでくださった。

「この世のすべては、儚いものであり 人生は幻のような
 ものです。一生は あっという間に過ぎてしまいます。
 今さら気付いても、これから誰が100年生きられると
 いうのでしょう。
 私が先か、他人が先か、今日かまた明日か、先に死ぬ人、
 後を追う人(死んでゆく人の多さは)草の根元の雫、
 葉末の露よりも多いと言われています。
 朝には明るい顔をしていても、夕方には死んで焼かれて
 白骨になってしまう我が身であります。
 それを「あわれ」といって嘆き悲しんでいるだけなら
 愚かな話であり、これを厳粛な事実だと思い知らねば
 ならないのです。」(御文の一部意訳)

蓮如さんとは室町時代の浄土真宗中興の祖で、この御文も布教の
為に書かれたものなので、誰でもこれからどこに向かって生きて
ゆくのかという 人生で最も大切なことを心にかけて阿弥陀如来に
深くおたのみして、お念仏を唱えましょう。
という言葉で締めくくられているのだが、私は
「朝(あした)には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」
という文章が妙に響いて、
ああー、そうだよなぁ、人生嬉しいの、悲しいのと一喜一憂しても
明日のことは分からない。
蓮如さんが生きていた時代は飢饉や戦争で、あっけなく人が
亡くなっていたが、今だってちっとも変わっていない。
時代がこんなに移り変わっても、人間というものは変わらないんだ
という事に「あわれ」を感じてしまう。

いつかは骨になってしまう身なのだから こうして与えられた命を
精一杯、全うしましょう。という結論に達するのだが、
ただ、そこに「白骨の身」という表現が今までよりもよりリアルに
感じれれて 焼かれて骨になる自分を初めて想像してみた(恐笑)

所詮はそんなもんだ、人間なんて。
天才も、凡人も、良い人も、悪い人も、白人も、黒人も・・・
一皮めくれば みーんな同じ白骨の身。
そこは間違いなく平等だよなぁ、と納得したのだった。


IMG_0174.jpg
これは、タロットの拾弐番絵札「アダシノ」の原画。
アダシノ(化野)とは「野辺送り」とも呼ばれていて、
昔の京の人々の風葬の地である。
このカードには供養と鎮魂の意味も込められている。
住職のお話でふと この絵を思い出した。





コメント

非公開コメント

こんにちは。私も日ごろよく思います。「時間だけはみな平等」って。貧富とか美醜とか国によっては歴然とした身分の差とかあっても、時間だけは、ね。寿命はそれぞれでも、生きてれば過ごしている時間の長さは同じ。だから年配の人を年寄だなんだと馬鹿にするのは、将来の自分に対してわざわざ先回りして悪口言っているのと同じで、すごく愚かだなーって思うんです。
そういう背景から、「長さが同じなら、密度を濃くしたい=悔いなく生きたい」という思いはありますね。

絵美さま
なるほど、その通りですね。
だから絵美さん、お仕事もお遊びも精一杯、エンジョイしてらっしゃるのね。確かにしないで後悔するより、して後悔する方がまし。私もそっちです。体力ないくせに誘われると、どうしても行きたくなってしまって、主人に時々怒られます。でも、死ぬまで絵を描いていたいし、きものも着て出かけたい〜(笑)

シンクロ?

って・・・一瞬思ってしまいました。
丁度P・D・ジェイムズの「皮膚の下の頭蓋骨」を読み終わったばかりだったんです。
あは、全然違いますわね。
「悔いの無いように・・・」と思いつつ、色んなしがらみができなかなか思うようにいかなくなっているような気もしています。
こういうことを軽々と乗り越えられるようになりたいものです。

「アダシノ」の原画、朱色の蝶々にドキッとしました。

生き物は産まれた時から死へのカウントダウンが始まってる
…みたいな事をどこかで聞き、なるほどなぁと思っております。
ワタシもしない後悔より してからする後悔を選ぶ方(笑)
出来る時に出来る事をして後悔無く骨になりたいですね (^-^)v

りらさま
いえいえ、シンクロですよ〜、お骨繋がり(笑)
「アダシノ」そういえば、このカードの出来上がる経緯をまだ書いてませんでした。
蝶は再生を表すシンボルとしてよく描きます。死と再生は対で描くことが多いです。
死んで終わりじゃつまらないですもの。
詳しくは、タロット「アダシノ」で・・・。

香子さま
おっしゃる通りです。が、若い時は「死」はまだまだ先の話、と思ってました。
最近は随分と近づいているような・・・、しかも加速して。

「白骨の身」という言葉は、人間、調子に乗ると、どうしても傲慢になってくるので、「所詮は白骨の身ではないか・・・」と、自分への戒めに良い言葉だと思ってます。

「出来る時に出来る事をして」、これも全くその通りだと思います。
ただ歳をとってくると、体力的な限界というのも、また認識しなければならない
ですが・・・(悲)

蓮如さんのお話が出てくるということは、うちの実家と同じお宗でしょうか〜?(北陸は真宗王国でして。とにかくお仏壇がスゴイんですよねえ〜)

身内や親しい人のお葬式に出るたびに、最後はみんなこれだなあ〜と思います。尊いことだなあ〜・・・と。十何年前に恋人と死別した経験からいろんなことを学びました。今では生から死までの捉え方も大きく変わりました。
ただ、今生での老いも死もまだ未体験(笑)なので、その過程に日々思い知らされるコトがいっぱいありますね〜。いやあ〜人生は面白いです、ホント。

tomokoさま
そうなんですね〜、実家は日蓮さんだったので嫁いで初めてお経のあげ方も違う
ものだな・・・と。うちのお寺さんだけかもしれませんが、「門徒物知らず」で
うるさくないから助かります。
「恋人と死別」って凄い経験をなさったのですね。
人間的には辛いことですが、魂的にはきっと大きく成長されたのでしょうね。
生きているといろいろな事があるものです。