3月11日

その時、私は外苑前の美容院にいた。
今まで経験したことのない大きな揺れ。
テーブルの下に入って揺れが収まるのを待つ。
断続的に揺れが続くので、暫くは美容院にて様子をみる。

外を見るとビルから飛び出した人達が車道の真ん中で、
立ちつくしていた。
皆、携帯電話を手にしていた。
家族に連絡をとろうとしているのか・・・。
もちろん、携帯は繋がらない。

渋谷までは歩ける距離だが、東横線は動いてないだろう。
姉と連絡がとれたので、永田町の店に行くことにした。
夫とも連絡がつき、本人も家も無事であることを確認。
上の娘から「無事?」というメールが入ったので、たぶん
娘も無事なのだろう。
「私は永田町の店に行く」というメールを送る。

途中、コンビニで飲み物と食料を買う。
渋谷に向かう人の波に逆らって歩くのは大変だった。
店に着く頃には、日も暮れて気温もグンと下がってきた。
古い建物の店は、一部壁が落ちたり断水していた。
姉の顔を見てホッとする。

近所の一軒だけ開いていたレストランで夕食をとる。
暖かい食べ物が食べられる幸せを噛み締めていると、娘が到着。
私のメールが届いて彼女も銀座から歩いてきたのだ。

そこにタイミング良く、娘の彼氏から私の携帯に電話が入る。
彼らも連絡が取れなかったらしい。
お互いの無事を確認し合い、ホッと一安心。

その夜は店の事務所で夜を明かすことにした。
事務所にはインターネットがあるので、そこで初めて何が起きたのかを
知る事ができた。
思っていたよりも、大災害であることを認識した。
夫もテレビで見た情報を知らせてくれた(私からは繋がらないが、
横浜からは繋がりやすいみたいだった)

事務所の女の子の彼氏が、迎えに来てくれる事になり、たまたま彼女が
横浜方面だったので、私達も便乗させて頂くことに。

永田町を出たのが、午前2時。都内が混んでいて横浜に着いたのは
午前5時過ぎだった。
みなさんのお陰で無事に家に帰ることが出来た。
迎えに来てくださった彼、お名前も伺いませんでしたが、心から感謝
いたします。ありがとうございました。

現在、ハワイにいる下の娘とも連絡がとれた。
津波警報が出て山の方へ避難したのだそう。
ズーッと、波が引いてどんな大きな津波が来るのかと思ったが、2メートル以下
で事なきを得た。
それでも人々が食料やガソリンを買いに走って、一時は騒然としたのだそう。
彼女はレ―シック(目の手術)を受けたばかりだったので、心配したが何事もなくて
良かった。

コメント

非公開コメント