母の付け下げを着て

それは、特別な会だった。
母の代、姉の代とそれぞれの店を支えてくれていた人達が
永田町・黒澤に数十年ぶりに集まったのだ。
最高齢は77歳。

昨年、山本きもの工房さんに無理を言って、この日に間に合わせる
ように仕立て直して頂いた母の付け下げ。
私はそれを着て出席した。
お陰様で、そのきものを覚えている人もいて、当時まだ子供だった私が
あの頃の母のきものが着られる歳になった事に感慨深げだった。

私はといえば、そのきものに袖を通した時から母がずっと側に
いてくれている気がしていた。
その会のことを一番喜んでいたのは、母に違いない。
戦後の「いざなぎ景気」の波に乗って父と二人で店を大きくしていった母は
「母親」としては及第点は付けられないが、「女将」としては満点に
近かったのではないだろうか。

しかし晩年はリウマチを発病し、父の裏切りにあい、辛いことや
寂しい思いも 随分味わった。
それでも、弱音ははかない強い人だった。

「女将さんは、私の憧れだったんです」とか
「女将さんがお座敷に入ってくると、その場の雰囲気が変わるんです」とか
昔を懐かしんで口ぐちに言ってくれたことが、なにより嬉しかった。
日本が高度経済成長を遂げつつあった、夢のような時代だった。

当時、店の芸能さんだったTさんが、津軽三味線を弾いてくれた。
若い頃よりも、ズーンと胸の奥に響いて、目頭が熱くなった。
彼女の人生も、またいろいろあったであろう・・・その歴史が三味線を
通して伝わってくる。
女の一生は波乱万丈。
その人生の一部に、この店がかかわっていた事で集まったこの日の22名。
懐かしく、楽しく、そしてなぜか切なさも同居した不思議な集いだった。

母が亡くなって店の内容も名前も変わったが、こうして店を
守り続けてきてくれたN子姉には、心から感謝したい。
商売をするには厳しい時代だが、あの頃の思い出の詰まったこの地、
この店がいつまでも残るように、姉を応援してゆきたい。

110108_175727[1]

建物は改装した所も
あるが、一階の奥の
この部屋は当時のまま。


110108_124229[1]

母の付け下げ


110108_124352[1]

八掛はグレーに変えた。
母の時は薄い水色だったが

110109_083630[1]

菊は金糸、鳥と岩はすべて
刺繍が施してある

コメント

非公開コメント

大勢さんお集りの良い会だったようで何よりでしたね。きっとすいれんさんが感じられたままに、故人のお方もその場にいらしたのではないかと想像します。
お話をうかがっていた付け下げも、決して華美にすぎない華やかさと渋さの兼ね合いがなんとも素敵だな~!って思いました。帯は笹蔓でしょうか?様子がい~いですねえ~!ウットリしちゃいます~。

tomokoさま
ありがとうございます。
母のきものは派手なものが多くて、私には似合わないのですが、これだけは着てみたいと思ったきものでした。帯はなんでしょうね?
昔からあるので、よく分かりませんが白地に銀糸なので、何にでも合って重宝してます。
ただ固いので締めにくいんですよね。

渋さの中に華やぎが・・・
と~~っても素敵な着姿ですね~e-266

すいれんさんのお母さま・・・ 集った皆様おっしゃるように
その場の雰囲気を和やかに また華やかに
 働く方々からも自慢の女将 
色々なお話 伺いたいお方ですよね。。。

お姉さま すいれんさんが受け継ぎ このような集いに皆様喜んでお出ましされるのだと思います。

きっと母上さま ご一緒に楽しまれたことと思います。

こんにちは! はぁ~美しいです艶やかです、お母様の附け下げ。
良いものは時代を超えて、世代を超えて、その良さを伝え続けるものなのですね。
みなさんの、お母様を慕う気持ちもありがたいですよね。私も心があったかくなりました。

sachikoさま
ありがとうございます。
亡くなって何年もたつのに、母はいろいろな方に思い出され、今でも話題に華を咲かせられるのですから、幸せ者だと思います。

時代も凄い時代だったのですね、今思うと。
母は73歳で亡くなりましたから、戦中、戦後の激動の時を駆け抜けていった人生でした。きっと、sachikoさんのお母様も同じような時代では?

絵美さま
きものは凄いと思いました。
もう何十年も箪笥に仕舞われていたのに、まるで昨日まで母が着ていたかのようでした。
皆さんの目にも「過ぎ去りし日の母の姿」がはっきり見えたようで。この日の私は、私であって私でなかったです。