助六の江戸紫

「紫と男は江戸に限るなり」という川柳があるのをご存知だろうか?
江戸の粋な男と華のある鮮やかな紫色が当時の江戸っ子達の心を
掴んだのだろう。
情報の早い今でこそ、その年の流行色というのが、あっという間に
広がるが、元禄時代のこの頃にも、すでに流行色というのがあったとは
江戸っ子のおしゃれ感覚には脱帽する。

で、この「男伊達(おとこだて)の色気を醸し出す江戸紫を、世に
広めたファッションリーダーこそ、絶大な人気を誇った千両役者、
二代目市川団十郎である」(染織家、吉岡幸雄・記)のだそうだ。
そう、今の団十郎さん(海老蔵さんのお父様)が十二代目にあたるから、
それこそ十代もさかのぼるが。
それにしても今更だが「市川宗家」というのは名門なのだな、と感心
してしまう。
だって、十代もさかのぼれる家系図なんて、普通はないですから。
ちなみに前回の題名「いよ!成田屋」の成田屋というのが、市川宗家の
屋号です。

話を戻すが市川団十郎のお家芸、歌舞伎十八番の中でも人気の
「助六由縁江戸桜」(すけろくゆかりえどざくら)というのがある。
紫縮緬(むらさきちりめん)の病鉢巻(やまいはちまき)を額に巻いた
助六の姿は日本人なら誰でも一度は見たことがある筈。
(たとえ、それが桃屋ののりの佃煮の瓶に描いてあったものでも)
あれを完成させたのが、この二代目さんだったのだ。

でも、ただの流行色という訳ではなく、紫草の根の紫根にはさまざまな
薬効があり、その一つに気を静めるというのがあって、気性の激しい
助六の頭に紫根染の鉢巻きを巻くというのは、理にかなっているのだ。

色には固有の波長があって、それぞれにその特徴がある。
確かに紫色には熱をとるとか、鎮めるという作用があり、今でこそ
計器でそれを計れるらしいが、そんなもののない昔にどうしてそれが
分かったのか?
いつも思うのだ、「昔の人はすごい」と。

前回、書けなかった八月花型歌舞伎について。
海老蔵さんは「京鹿子娘道成寺」という演目に大館左馬五郎照剛という
役で出演。
この役、前半はなが~い白拍子花子の舞踊の後、最後、実は恋の恨みから
蛇となった清姫の怨霊である花子を、退散させるという所のみに
出てくるのだが、これが、かっこいい。
花道からサーっと大きな刀3本も腰に差し、高下駄で現れ(これで衣装、
何kgか?) 怨霊とカッカッカッ、ガッガッガッと、見栄の切り合い。
最後は怨霊退散、で幕。
これだけなのだが、まず海老蔵さんが出てきただけで場内の雰囲気が一変。
(私にオーラは見えないが、たぶん会場いっぱいになっていた筈)
これが、やっぱりスターというものなのだろう。
もちろん、芸にたいする努力は怠らないだろうが、持って生まれたものが
大きい気がする。
何と言ってもご先祖様の系列がこれだけハッキリしていたら、そのご加護も
受けやすいというものだ。

実生活では、そのヤンチャぶりが魅力(?)の海老蔵さんだが結婚したからと
いって、小さくまとまらず 恋も芸の肥しにして、さらに大きな役者に
なってもらいたい(と、おばさんは秘かに願う)

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助六由縁江戸桜

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