母の十三回忌

そんなに月日がたったのか・・・というのが、正直な気持ち。
母の肉声が入ったテープがあるが、聞く勇気がないまま十三回忌を
迎えてしまった。
人間にとって自分を生んでくれた人の死というのは、なかなか複雑な
もので、いくつになっても複雑な思いはそのままの様だ。

娘として後悔するのは8月の花火。
姉の友人がクルーザーを持っていて船から花火を見ようという事になった。
友人、姉夫婦、私の家族等10名近かったろうか。
その頃、母はもう車椅子になっていて、母を連れていけば他の人に迷惑を
かける、と、姉と私は考えた。
本当にそうだろうか?
今にして思えば、皆協力してくれたに違いない。
母が花火が好きな事も分かっていたが、私達は彼女に内緒で出かけた。

母は感の良い人だった。
皆、別々に住んでいたのだから、いつ、何処へ出かけようが 母に
分かる筈もないのだが、その夜、母は姉の家にも私のところにも電話を
かけてきた。(これは付き添いさんから聞いた話)
どちらも留守だった時点で母はピンときただろう。

どんな気持ちだっただろう・・・
自分だけ置いていかれた気分て。
未だにそれを思い出すと切ない気持になる。
子供というのは残酷だ。
今に私も娘達から置いてきぼりにされる日がくるだろう。
そして その時、母にどんなに酷いことをしたのか思い知るのだ。
きっと・・・。


法事の後は「永田町・黒澤」で食事。
この部屋は奥座敷。
母が女将だった頃から変わっておらず、懐かしい。
(もちろん、当時は黒澤ではないが)
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蕎麦会席の突出し。
野菜をのせたお寿司が
さっぱりして
美味しかった。

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