海よりも深し、女の購買意欲

ありがたい事に、亡き母が腕時計好き、宝石好きだったので、
私はもう買う必要がない。
せいぜい、リフォームして使えば良い。
そして次は娘達にいくと(もう、いってるものもあるが)思えば
親子3代、元はとった!と、思える。
洋服は使えば価値がぐんと下がってしまうものなので、そこにお金は
かけたくない。着心地の良いものが一番。
靴とバッグが、ちゃんとしていればTシャツ、GパンでOKな今の
カジュアル化した世の中は、ありがたい。(もちろん、TPOはあるが)
なので、もう欲しいものがなくなっても良さそうなのに・・・
そうはいかないのが、人の業というものか。

母の遺してくれた「きものや帯」から始まった私の「きもの道」だが
そこに落とし穴があった。
前に書いたように母は派手好きで、またそれがよく似合っていたのだが、
私には似合わない。
初めは似合うも似合わないも、というか自分の好みも分からず、あるものを
着ていたが、最近特に自分の好みがハッキリしてきた。
これは良いことでもあり(?)困ったことでもある。

つまり、「これが欲しい」というものが具体的に出てきたのだ。
いままでは、欲しいけど、ま、今でなくてもいいか・・・的だったのが
本当に「今、欲しい」のだ。
夏のきもの、夏の帯、きものにも洋服にも持てるバッグ、etc,etc
しかも、私位の歳になると目も肥えてしまっているので変なものはイラナイ。
もう、流行を気にすることもあまりないので、本当に良いものが欲しい。
で、それなりのお値段もする。

でもここで、しかと考えるに「あと何年」ということばが出てくる。
あと何年、元気で楽しくおしゃれができるのか?
おしゃれするのもエネルギーが必要だし、逆におしゃれするのが面倒と
思い始めたら、ちょっと「ヤバイ」かも。

確かにそれは一つのバロメーターかもしれない。
とすると、まだ欲しいものがあるという事は喜ぶべきではないか?
それを買う為に頑張って働こうと思う。
それを着てあるいは持って、どこかに行くことが楽しいと思えるのは
女に与えられた特権である。
何も自分から、それを放棄するこたあないわね。
それで幸せな気持ちになれるなら、おおいに楽しむべし。
(もちろん自分の経済力の許す範囲で)

だいたい女が元気な国は繁栄する(?)と、どこかで聞いた。
不景気だ何だと財布のヒモを固くすれば、ますます不景気になるのでは
ないか。使える人は使うべきである。
アハハ、何が言いたいのやら。
要するに買い物したい自分を正当化したいらしい。

そうそう、パリで聞いた話。
パリのマダム達は常に現役。
いつ、どこで恋におちようともOKなように準備万端(さーすが、フランス)
その国の歴史があるから、そっくり日本にあてはめるのは無理としても
その心意気は見習いたいものだ。
(いえ、恋のところじゃなくて、自分を美しく見せる為の努力をおしまない
ところです)
確かにあちらでチラホラ見かけたマダム達は、素敵な大人の女性が多かった。
顔の皺も歳を重ねた魅力のうち、みたいな。

結婚して31年もたつと女を忘れがちだったが、そうだ「手を抜いてはイカン」
と、気持ちを新たにした私であります。

で、結局何の話だったんでしょうかねぇ。
真夏の世迷言と聞き流して、いえ、読み流してくださいませ。

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母のきもの。
たぶん、かなりの
お値打ち物と
思われる。
しかし、鶴さん、
何羽いるのやら
・・・

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