バベルの塔

今回の旅で英語力は必要だと感じることが度々あった。
他国の人とコミュ二ケ―ションをとる為の共通の言語はやはり必要だと思う。
だが、日本語の質の低下が問題になっている今、子供の頃から
英語教育に力を入れて英語でものを考えるようになってしまうと、
さらに日本固有の文化や伝統が失われていってしまうのではないだろうか?
と、おばさんは心配になる。

「文化は言語の産物である」と、言ったのは誰だったか、
なるほど、納得のいくことばだ。
近頃では企業でも英語力のない社員は必要ないと言われてしまうらしいが、
英語教育に力を入れるなら、そこに日本の文化をしっかりと土台にした
あくまでもコミュ二ケ―ションをとる手段としての英会話をしてほしいものだと
思う。でも、英語が話せるようになって外国人の知り合いが出来たら逆に日本の
事を勉強する機会が増えるかもしれない。
好奇心旺盛な彼らは日本の文化について、いろいろ聞いてくるからだ。
そこで改めて私達は、普段当たり前すぎて何とも思わないことを考えたりするものだ。

聖書では神はバベルの塔を建てようとした人間に怒って人々のことばを混乱させ
人々が互いの言語を理解出来ないようにバラバラにした。とあるが、そうだろうか?
神はもっと深い意図を持っていたのではないだろうか?
人間に究極の学びを与える為。
つまり、自分と異なる「者」を理解するという。
性の違い、年齢の違い、言語の違い。
人は自分と違う「もの」や「こと」からいろいろなことに気付かされたり
学ばされたりするものだ。
そして理解しようとする。
それが、人間の素晴らしさの本質であるような気がしてならない。

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「バベルの塔」
ブリューゲル作

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